ネパールに集結した友達の輪

  ジャイチは、民間人の力を結集して立ち上げた、本来の意味の非政府組織(NGO)です。そのことを理解していただくために、財団としての活動を開始する以前にさかのぼって、経過を紹介いたします。
  NHKTV番組のプロジェクト 風に語れば、それは天の采配かと思うような2人の男と、仕事ができて肝っ玉の据わったそれぞれの配偶者たち、合わせて4人の出会いでした。職業や居住地が違い、親子ほど年齢差もある理事長経験者の小林榮さんと菊池健介さんが、そもそもこの活動の発案者であり推進者なのですが、2人を結びつけたのは信州であり、それぞれの経験こ根ざしたネパールやネパール人への強い思いの一致でした。
  長野県知事の認可によって財団が発足したのは1993年1月29日ですが、構想を練り上げ、実現のための基本的なステップを踏んだ準備段階は、時間にするとそれほど長いものではありませんでした。栃木県那須町にある観光牧場の糧営にかかわっていた菊池夫妻が、その経験と手腕をかわれて長野県長門牧場再建のため長門町に移住し、その緑を結んだ当時の長門町長故小林茂夫さんが、親類筋にあたる理事長経験者の小林榮さんを菊池さんに引き合わせました。
  小林さんは、当時から東京と信州を往復する生活をしておりました。菊池さんには、ヒマラヤ登山の経験があったので、その緑で菊池さんのもとに滞在していた数人のネパール人を小林さんに紹介しました。小林さんは折あるごとに丸子町(現上田市)の自宅に彼らを招待し四方山話を繰り返しながら、それに触発されて菊池さんや彼らの案内で、たびたびネパールを訪問しました。そしてこの国に対する思いを募らせておりました。
  そうこうするうちに、支援の中身がおぼろげながら固まりました。それはふたつあって、一つは教育機関の創出、二つ目は農業振興への貢献でした。現地では事業を実施するためにまず農地を購入し、従事する現地スタッフ探
しを手掛ける一方で、日本側の事務局体制を整える作業にかかりました。財団発足当時を知る関係者の間には、構想の小林、実務の菊池という役割分担が両車輪となって動き出したとき、活動が一気に加速するという定評が残っています。
  2人による最も劇的な展開は、財団発足という仕事ではなかったでしょうか。当時も今も、民間の力だけで財団を立ち上げることはかなりの難事業です。まず、設立に際して基金が必要になります。また、任意の団体に比べて、財団を維持する事務手続きは特別に煩雑です。小林さんは、任意団体ジャイチを財団にすることを提案し、基本財産の提供を申し入れました。実務家の菊池さんは、初代理事長となる当時の小林長門町長など行政関係に精通した協力者の支援を得て、この難関を突破しました。
 菊池さんは、ニュースレターJAITI第1号に、「今日迄のジャイチの活動を、資金面で全面的に支援くださっている、小林榮・みよ子夫妻に、衷心より感謝申し上げ、目に涙して結びます」と書いています。


 
理事長経験者小林氏(左)と菊池氏(右)▲

  菊池氏は、高崎経済大学OBでヒマラヤのヌンブール峰登山隊長として冬季初登頂に成功しました。その成功にはシェルパ族の人びとの多大な貢献がありました。そのシェルパ族の生活安定には農業技術が必要な事情を痛感し、感謝の気持ちとして研修場を設置したい希望を聞いて、私は富者ではありませんが、できる限りの経済的協力をする ことになりました。
 「感謝」は「和」と同意であります。大きく和するは日本人古来よりの根本的な思想であります。和の心は私を無にすると考え、菊池氏の考え方に沿って、資金の調達を実行し、計画は順調に進みました。そして2003年菊池氏が世代交替の必要を語られ、常務理事の交替が行われました。
  私もすでに87歳の高齢であり、健康に自信がなくなってまいりました。新常務理事鎌田氏は新進気鋭の士であります。ジャイチ永続のため組織や事業運営の改革に着手しています。次の理事長に就任される方の財団運営に支障のない方式をと願っております。
  小林 栄(前理事長)

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